こんにちは、紡綺ひろかです。
とても繊細な気質を持つ人を「HSP」と呼ぶという話はかなり有名になってきた頃だと思います。
私もこの概念を知った当初は「これだ!私はまさにこれだった!!」と目から鱗どころの話じゃねぇってくらい腑に落ちたのですが…
ある時期
「私、やっぱHSPではないのでは?」
という思いになり、その情報から距離を置いていたことがありました。
なぜ、やっぱ違うんじゃないかと思ったのか。
今日は「HSPじゃないとしたら何なの?もうわからーん」ってなっていた私が、どうやって自分の繊細さを認めるに至ったのかについてお話ししたいと思います。
「違う」と思った時期
特徴が微妙に当てはまらない
「やっぱ違うかも」と思ったのには明確な理由が2つあります。
一つ目は、ちまたで「こういうのがHSPの特徴です!」と挙げられているものと自分の特徴が、微妙にずれていると感じたからです。
さまざまな捉え方があるのですが、深い考え方をする・共感力が高い・五感の刺激に敏感・疲れやすい…というような特徴がよく挙げられているかと思います。
一部は私も当てはまるなと思ったのですが、「繊細な人あるある」みたいなものを読んで「自分はこれではないな…」と思うこともありました。
例えば、繊細な方は静かな場所を好む方が多いかと思いますが、私はそこまで静かであることにこだわったことがありません。
あと共感力が高い、つまり人の気持ちが自分のことのようによく分かるというのも繊細な方には多いのですが、これもピンと来ませんでした。
普通に人のことを誤解しますし、分かってない!と指摘されたこともあります。
そういった微妙な違いを感じるようになって、やっぱり私ってHSPでもないんじゃないか?と考えるようになったのです。
自分は普通でもなさそうだし、繊細でもない…。
疎外感のような気持ちがありました。
うまく受容できなかった
二つ目の理由は、自分が繊細であり生きづらさを感じやすいということ自体、ネガティブで受け入れがたいものだったからです。
資料がどっか行ってしまったので出典が分からない上うろ覚えな知識でもあるのですが(無責任)、人は何か衝撃的なできごとに遭遇すると、たいてい最初に受容できない時期を迎えるそうです。
「そんなはずない!」「嘘だ!」と、現実から目を背けてしまうんですよね。
なんなら本人が無自覚なこともあります。
私自身、自分の中で「自分の繊細さは受け入れがたいことだ」と捉えていたことに無自覚でした。
でも、そのできごとを健全に受け入れるには、受容できない時期を否定しないことが大事なのだそうです。
否定しないとはどういうことか?
それは「そんなはずない」「嘘だ」「見たくない」という後ろ向きな気持ちに素直になるということです。
早く受け入れなきゃ!と焦る必要はないのです。
…っていう知識はあったのですが、実践するまでには少し時間が掛かりました。アウトプット大事。
自分にフォーカスする時期
ということで、私はその気持ちを認め、とりあえずHSPや繊細と呼ばれる人たちに関する情報から離れることにしました。
そうすると、不思議なことに「これからは自分の感覚がどんなものなのかしっかり観察してみよう!」という流れになりました。
この自分のことにフォーカスするというのが今思えば大事だったように思います。
今一度、一つ目の理由を思い出していただきたいのですが、過去の私は、繊細な人の特徴の細かすぎる部分ばかり着目していたんです。
好きな場所が人によって違うのは自然なことです。
いくら繊細さを持っていても、人間であるならば相手の気持ちを読み間違えることがあります。
細かいところを見すぎて、
「あの人と比べたら、自分の繊細さって大したことないんじゃないか?こんなので繊細とか言ってるのは甘えじゃないか?」
とすら、思っていました。
しかし、自分の感覚を観察してみようと心に決めてから、逆にどう考えても繊細としか思えないことばかり出てきました。笑
頭の中でいろんなことを考えすぎて訳がわからなくなり、行動が遅くなってしまうところ。
物語を書くのが好きと言いながら、読むほうは刺激が強すぎるのかすぐに疲れてしまうところ。 (これはかなりの悩みどころである)
周りの人が楽しそうだとその感情が自分にもうつり、周りが辛そうだと自分が関係ないことでも同じように辛くなってしまうところ。
素材の感触がどうしても苦手で着られない服がある、匂いへの敏感さ、電子音にびっくりしすぎるところ。などなど。
ここまで分かると、
「もういい、おそらく私はHSPだ。たとえ違うと言われたとしても、自分自身に繊細さを感じた。認めざるを得ねぇ」
ってな感じで、やさぐれ気味に認めることとなりました。笑
不思議と、ここで認めるともう抵抗感は薄れていました。
今回のまとめ
同じように繊細さを感じている人だったとしても、違うことはたくさんあります。
当たり前のことなのですが、自分が何なのか分からないときにはその違いが「疎外感」を生むこともあります。
「これも違う、あれも違う…だったら私は何なの?どこに行ったら良いの?」と。
だからこそ、自分にフォーカスするのが大事だな、と自分の経験から痛感しております。
比べることはネガティブに働く場合も多いと思いますが、ちゃんと自分の感覚を把握した上で比べてみると「なんだ、結構同じ人いるな」とほっとすることに繋がる場合もあります。(実話)
ということで今回、私がお話ししたかったのは、自分の繊細さがよく分からなくなってきた時はその思いを認め、外側の基準はいったん置いといて、自分の感覚に戻ってみることが大事かもね、というものでした。
お話しした内容が、ちょっとでも参考になっていたら嬉しいです。
それでは、また。